■金を好んだ織田信長

 以前、秀吉と金について述べたことがありますが、今回は織田信長を取り上げ、信長にとっての黄金とはなんであったのか、ということを考えてみたいと思います。

 織田信長の名前が海外で記録されたのは、ルイス・フロイスの著作でした。その中で、黄金に輝く屋根やあちらこちらを金色に装飾した安土城の記録が残っています。秀吉以上にといってよいほど、信長は金を好んだようです。もちろん、戦国の武将なので、権力の象徴としての金は、自分を権威づけるためにも必要だったと考えられます。

 ただ、信長のいろいろな行動を見ると、ただ単に金を崇めて、権威づけるというだけにはとどまらない価値観があったとも考えられると思います。以下そのことについて、触れてみたいと思います。

■織田信長にとっての黄金の意味

 信長にとって、金は天下を武力で制覇し、一つの権力で統一するための武力、財力を象徴、代弁するものであったと思われます。

 それと同時に、信長は、戦国武将の中でも鉄砲というその当時の近代兵器の威力に最も注目した武将の一人でした。つまり、こうした軍事力を整備するための財力基盤でもあったと想像できます。金は、財力であり、軍事力を支える重要な要素であり、リアルなものだったと考えられます。

 信長は、一方で楽市楽座という自由市場を作っていきます。この段階の市場は、現在の市場のような規模の大きなものでなく、経済人類学者のカール・ポランニーがいうように「社会の中に埋め込まれたもの」であったと言えます。また、庶民が金を使ったわけではありませんでした。権力の側では、財力として金を貯え、商人たちには自由な市場を営ませるという、この二つの要素を考え併せると商品経済を見据えた武将であったと言えます。

 信長の先見性は、そうした商品経済を一つの要素として天下統一を図ろうと構想していたといえるのではないかと思います。金は権力の象徴でもあり、まさに武家政権を成り立たせる経済力であったと考えられます。信長は、戦国武将の中でも特に経済的であったと思われます。その中心こそ金でした。

■最後に

 信長にとって黄金は次の時代を切り開く財力でありました。それを秀吉は引き継ぎ、豊臣政権の財務基盤を築き、また場合によっては分配の手段としても使いました。

 江戸時代になって、商品経済は統制の中に置かれていきます。小判の鋳造や金箔の使用などは幕府だけの特権となっていきます。しかし、商品経済自体は、少しずつ進んでいったと考えられます。明治以降の経済発展は、日本人が歴史的にはぐくんできた商品経済と江戸時代に培われた教育が合わさることによって花開くことになったといえるかもしれません。

 今回は、織田信長にとっての黄金の意味と題してお話しいたしました。(イメージ写真提供:123RF)