■江戸から明治への貨幣制度の転換
 
 江戸時代は戦国大名が行っていた貨幣制度を踏まえ、全国的な三貨制度(金貨、銀貨、銅貨)が整えられた時代としてみてきました。江戸の金貨、すなわち小判は当初は世界的にも質の高い貨幣でした。江戸時代も時代を下ると貨幣の質も下がってきたといわれます。また藩札という紙幣が出回ったのも特徴でした。庶民が金貨を手にする機会は少なかったですが、国家としては金が主要な貨幣として大切な役割を果たした時代でした。
 
 江戸から明治へと移り変わると、貨幣制度はまた変革の時期を迎えます。それは、紙幣が発行されたことと金本位制の採用などです。明治政府は中々庶民の信頼を得られなかったために、日本全体を新しい社会制度にアレンジすることに大変苦労したようです。その一つの柱が貨幣制度であったといえるでしょう。当初は既存の貨幣制度を取り入れつつ、次第に独自政策を打ち出していきます。明治政府は紙幣を発行していきますが、この紙幣が信頼に足るものであるためには裏付けが必要でした。
 
 明治政府は成立間もないころ、欧米の貨幣制度を調べるためにひとりの人物を海外派遣しました。それは、後の初代総理大臣となる伊藤博文でした。
 
■国際システムとしての金本位制
 
 伊藤が米国の貨幣制度を調べたところ、欧米諸国は金本位制度に移行しつつあり、つまりは「国民国家」をアクターとする国際社会のスタンダードとして拡大しつつあったため金本位制度を主張しました(※)。
 
 しかし不思議なもので、足軽の身分で、高杉晋作と長州でクーデターに参加し、倒幕の中で人間力を鍛え上げた人物が欧米の諸制度を目の当りにし、それらを取り入れ、後に総理大臣になっていく。
 
 変革期の重要人物の、波乱に富んだ人生と吸収力には改めて驚かされます。
 
 話しを元に戻しましょう。明治政府は、当初金が足りなかったため実質は銀本位制からスタートしました。金本位制に実際移行したのは1897年でした。日清戦争などを経て、日本がこうした欧米列強と貨幣制度で肩を並べるには時間がかかりました。しかし、先人の努力の結果、金の裏付けによる貨幣体制が確立していき、金本位制、日本銀行創設によって日本の貨幣制度は固まっていきます。
 
 さて、そうした金本位制も順風満帆には進みませんでした。相次ぐ世界規模の戦争、大恐慌などを経て、金本位制から離脱そして復帰などの動きがありました。そして、前々回触れたブレトンウッズ体制の確立によって、金に裏付けられたドルが基軸通貨となりましたが、それもニクソンショックにより終わりを告げました。
 
■時代に翻弄される金
 
 金は、金の保有量を背景に固定相場制による経済の安定に貢献する一方、国際政治的理由やあるいは地政学的な理由によってその役割を終えたり復帰したりと時代と国家の事情に翻弄されたといえるでしょう。
 
 近世までは権力の象徴としてのシンボリックな役割を果たしてきた金。近代では通貨制度の裏付けとしての役割を担った金。ある意味で、この近代における役割も秩序を維持するためのよい役割を果たしたといってもよいと思います。
 
 ニクソンショック以降、金は管理通貨制度や変動相場制の中で、ひとつの資産として質実剛健の役割を果たしていくことになります。こうして見てくると、金は歴史と密接に結び付いていた反面、時代に翻弄されてきたということがいえるかと思います。なんと波乱に満ちた存在なのでしょう。
 
 以前別のコラムで「地上に降りた金」と述べましたが、近代においては、金は「地上に降りた」ものの、国際政治の中で翻弄されたと感じます。
 
【参考資料】
(※ 注及び参考文献) 東條 隆進「貨幣思想から考察した 近代日本貨幣システム ―三貨制度から金本位制へ―」社会科学研究 第59号 P99(H.11).10 7~8頁、16頁で伊藤の卓見が記述されています。本論文は難しいですが、近世から近代の貨幣制度を国際的に見たよい論文です。