中国のニュースサイト「澎湃新聞」は16日付で、「日本の製造業の“黒い歴史”」を紹介する文章を掲載した。同文章は「日本製品も最初からすばらしかったわけではない」として、自国民の奮起を願ったとも読み取れる。

 文章はまず、第一次次世界大戦中の日本について「好況に沸いた」、「人々の購買能力は不断に上昇」、「ビジネスマンは一攫千金を夢想し、業界には『堅実な者はおろか』との気分があふれた」と紹介。さらに大阪生まれの実業家、山本為三郎(1893-1966年)の著書『上方今昔』を引用し、「大陸や朝鮮を相手に商売し、毎日、宵越しの銭を残さない」といった浮ついた風潮があったことにも触れた。

 さらに、需要に供給が間に合わず、とにかく製品が飛ぶように売れるので「工場主は信用第一を放棄して、粗製乱造を始めた」と指摘。「中間部分には芯が入っていない鉛筆」を輸出したと紹介した。

 文章は「第二次世界大戦以前には、全世界は日本製品を安物と思っていた」と指摘した。さらに当時の日本について「人々の心に拝金主義、刹那主義、享楽主義が満ちた。義理を守ると頑固者とされた。少年による強盗や窃盗も増えた」などと、人々の心の荒廃にも触れた。

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◆解説◆
 上記文章が指摘するように、日本人が経済活動で「信用」を極めて重視するようになったのは、それほど古いことではない。江戸時代には井原西鶴が『日本永代蔵』で、「中国人は信義を重んじ約束を守る。日本人は商品をごまかし、コストを下げることだけを考え、売れさえすれば後のことはかまわない(現代語抄訳)」と記述している。

 明治時代になっても、“日本的商法”は問題を出した。明治政府は、絹と並んで日本茶を輸出商品にしようとした。当初は期待が持てたが、価格や西洋人の嗜好との合致でインド紅茶に負けて挫折した。それだけでなく日本の業者が茶葉を輸出する際に、重量をごまかそうと砂を混ぜるケースが続出したことも大きな原因だったという。

 ただし、江戸時代から「信用第一」とする商家などは珍しくなかった。明治時代には武士階級出身者が、高い倫理精神を保ちながら実業界で成功する例もあった。渋沢栄一は「道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数で得た富は、永続させることができない」などと主張した。

 現在の日本が経済活動において「国としての信用」を獲得したのは、長年にわたり形成されてきた考え方が、紆余曲折を経ながらも社会に広く浸透した結果と理解することができる。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)